先日、日本政府関係者が報道関係者とのオフレコの場で「日本も核兵器を保有すべきだ」と発言したとされる件が報じられ、大きな波紋を呼んでいます。
公明党の斉藤代表をはじめ、与党内外からも「問題発言だ」「辞任すべきだ」といった声が上がっています。
しかし、この一連の流れを見ていて、私はどうにも腑に落ちない思いを抱いています。
そもそも「オフレコ」とは、公表しないことを前提に率直な意見交換を行うための約束です。建前論だけでは本音の議論ができないからこそ、政治の現場ではオフレコの場が設けられてきた。そこには、発言者と報道側との信頼関係が不可欠です。

今回問題とされている発言は、その「公表しない」という約束が破られたことで初めて世に出たものです。もしそれが事実であるなら、まず問われるべきは、オフレコ発言を公にした側の姿勢ではないでしょうか。
発言内容だけを切り取って問題視し、発言者の責任のみを追及するのは、あまりにも一方的に感じられます。
さらに言えば、オフレコの場での発言を根拠に「辞任を求める」というのは、政治の議論空間を極端に狭める行為ではないかと思います。
本音を語れば職を失う、という空気が蔓延すれば、政治家はますます無難な言葉しか口にしなくなるだろう。それは国民にとって本当に健全な状況でしょうか。
もちろん、日本の核兵器保有については、憲法、非核三原則、国際社会との関係など、慎重に議論すべき極めて重いテーマです。賛否が分かれるのは当然です。しかし、「議論すること」そのものまで封じてしまってよいとは思えません。
報道の自由は民主主義にとって不可欠ですが、それと同時に、報道には節度と責任も求められます。オフレコという約束をどう扱うのか、その在り方についても、今こそ真剣な議論が必要ではないでしょうか。
今回の騒動をきっかけに、発言内容だけでなく、報道と政治の信頼関係、そして健全な言論空間とは何かについて、私たち一人ひとりが考える必要があると感じています。